1981年に発売された泰葉(やすは)のデビュー曲『フライディ・チャイナタウン(Fly-Day Chinatown)』。
40年以上前の楽曲でありながら、2020年代に入り再び大きな注目を集めています。特にTikTokやYouTubeなどSNSで若い世代がカバーやリミックスを投稿し、世界中で“シティポップ”ブームの象徴として語られるようになりました。
しかし、なぜこの曲が時代を超えて再評価されたのでしょうか?また、タイトルの「FLY-DAY」にはどんな意味が込められているのでしょうか?

本記事では『フライディ・チャイナタウン』が流行した理由と、その歌詞の深い意味を徹底的に解説します。
フライディチャイナタウンはなぜ流行った?歌詞の意味
1981年に発表された『フライディ・チャイナタウン』は、泰葉のデビュー曲にして代表曲。当時のオリコン最高順位は69位と決してヒットチャート上では目立ちませんでしたが、2020年代に入り、SNSや海外リスナーの間で突如として再ブームを迎えました。
この現象の裏には、シティポップというジャンルの再評価、歌詞やメロディに秘められた時代性、そして“昭和の香り”を現代的に再構築したネットカルチャーの力があります。ここからは、その人気の理由を一つずつ掘り下げていきましょう。
フライディチャイナタウンが流行した理由をわかりやすく
『フライディ・チャイナタウン』が再び脚光を浴びた最大の理由は、「シティポップ再評価ブーム」にあります。
2010年代後半から2020年代にかけて、竹内まりやの『プラスティック・ラブ』や松原みきの『真夜中のドア〜Stay With Me〜』など、70〜80年代の日本のポップスが世界中の若者の間で再発見されました。これらの楽曲はSpotifyやTikTokを通じて広まり、海外では「City Pop」という独立した音楽ジャンルとして受け入れられています。
その中でも『フライディ・チャイナタウン』は特に“異国情緒”と“都会の孤独”を兼ね備えた名曲として人気を集めました。夜の横浜中華街を舞台に、女性の心の揺れと解放感を描いたこの楽曲は、英語圏のリスナーにとっても映画的でノスタルジックな印象を与えます。
また、泰葉の澄んだハイトーンボイスと洗練されたアレンジも、現代のリスナーにとって“レトロなのに新しい”と感じられる要因です。サビの冒頭から始まる構成は非常にキャッチーで、一度聴いたら耳に残るメロディラインがSNSで拡散しやすかった点も大きいでしょう。
さらに、韓国のDJ・Night Tempoをはじめとするリミックス文化が、この再ブームを決定づけました。彼のアレンジによってクラブミュージックとしても親しまれ、TikTokで“昭和レトロ×現代ビート”の融合として世界的に広まったのです。
TikTokや海外で再ブームを起こした背景とは
『フライディ・チャイナタウン』がTikTokやYouTubeでバズった背景には、グローバルな“フューチャーファンク”文化の存在があります。フューチャーファンクとは、1970〜80年代の日本のシティポップをサンプリングし、テンポを速めて再構築した音楽ジャンル。韓国出身のNight Tempoや、米国のマッキントッシュプラスなどが代表的なアーティストとして知られています。
この文化の中で『フライディ・チャイナタウン』は、特に象徴的な一曲となりました。英語圏のSNSでは「Fly-Day Chinatown Remix」や「YOKOHAMA City Pop」といったタグが流行し、ロサンゼルスのクラブでは2000人の観客が日本語で合唱するほどの盛り上がりを見せました(文春オンライン報道より)。
背景には、英語圏の若者が「アナログの温かみ」「都会的でメロウなサウンド」に飢えていたことがあります。デジタル化が進みすぎた時代に、昭和のシティポップが“人間的でエモーショナル”に感じられたのです。
また、ジャケットアートやMVに見られる“昭和レトロな色彩”も、現代のデザイン感覚と相性が良く、ノスタルジーを求める海外リスナーに強く刺さりました。結果として、『フライディ・チャイナタウン』は「過去の日本音楽」ではなく、「新しい世界のクラシック」として再定義されたのです。
「FLY-DAY」に込められた意味とタイトルの由来
曲名の「フライディ(Fly-Day)」は、一見“Friday(金曜日)”の意と思われがちですが、実は異なる意味を持っています。
作詞を手がけた荒木とよひさ氏によると、「Fly-Day」は“飛翔する日”“心が舞い上がる日”という意味の造語です。つまり、この曲のタイトルには「浮き立つような気持ち」「自分を解き放つ瞬間」というポジティブな感情が込められているのです。
歌詞の中では、週末を迎えた女性が夜の中華街を歩きながら、日常を抜け出して自由を感じる姿が描かれています。「真夜中の人ごみに はじけるネオンサイン」「私も異国人ね」というフレーズは、まさに“異世界へ飛び立つ瞬間”を象徴しています。
また、“FLY-DAY”という言葉は、80年代の自由で華やかな空気感を象徴するキャッチコピーとしても機能しました。当時は経済が右肩上がりの時代で、海外旅行・ディスコ・横浜の夜景といったキーワードが人々の憧れを集めていたのです。
つまり『フライディ・チャイナタウン』は、「金曜の夜に羽ばたく女性」の物語であり、現代で言えば“仕事終わりに自分を解放する女性像”としても共感を呼んでいます。その普遍性こそ、時代を超えて愛される理由の一つなのです。
横浜中華街を舞台にした異国情緒あふれる世界観
『フライディ・チャイナタウン』の舞台は、明確に地名が出てくるわけではありませんが、多くのファンや評論家が「横浜中華街」であると解釈しています。実際にこの曲は、横浜をテーマにしたコンピレーションアルバム『横浜幻想(ヨコハマ・ファンタジー)』にも収録されています。
歌詞の中で描かれる「港の見える場所で 何か飲みたいのよ」「絹のドレスを指差す」などのフレーズは、横浜という港町の異国情緒を見事に切り取っています。夜の街を歩く女性、ネオンサイン、外国人とのすれ違い——。どれもが“日本の中の異国”という幻想的な世界観を演出しており、それが海外のリスナーにも強い印象を残しました。
さらに、横浜という都市は「日本の近代化」と「海外文化の入り口」を象徴する場所。80年代の女性が抱いた“都会への憧れ”や“自由への欲望”を投影するには最適の舞台でした。
その結果、この曲は単なる恋愛ソングではなく、自立と解放の象徴としての意味を持つようになったのです。聴くたびに風景が浮かぶ――それが『フライディ・チャイナタウン』が“映像的な名曲”と称される理由でもあります。
Night Tempoによるリミックスで蘇ったシティポップの魅力
韓国のDJ・Night Tempoがこの曲をリミックスしたことが、再ブームの決定打となりました。彼はシティポップや昭和歌謡をリミックスし、現代のクラブカルチャーに適応させることで、若者世代に“新しい形の昭和音楽”を届けた人物です。2021年、ロサンゼルスのナイトクラブ「The Novo」で披露された『Fly-Day Chinatown (Night Tempo Remix)』では、2000人の観客が日本語で合唱するという圧巻の光景が話題になりました。
Night Tempoは「日本の80年代音楽は、世界で最もロマンチックでユニークなポップス」と評しており、泰葉のこの楽曲にも“夢と情熱が詰まっている”とコメントしています。リミックスでは原曲の美しい旋律を残しつつ、テンポをやや上げ、ドラムとベースのキックを強調。これにより現代的なグルーヴが生まれ、クラブでも自然に踊れるサウンドへと変貌しました。
このリミックスをきっかけに、YouTubeやSpotifyでは数百万回再生を記録。『フライディ・チャイナタウン』は再び若い世代の心をつかみ、「令和の夜に響く昭和ポップス」として新しい命を吹き込まれたのです。
フライディチャイナタウンなぜ流行った?泰葉の人物像とエピソード
『フライディ・チャイナタウン』の魅力を語るうえで欠かせないのが、シンガーソングライター・泰葉(やすは)という存在です。
彼女は1980年代初頭、芸能一家に生まれながらも音楽の道を選び、作詞・作曲・歌唱をすべて自ら手掛けた稀有な女性アーティストでした。その清楚で芯のある声、そして都会的な感性が融合したデビュー曲『フライディ・チャイナタウン』は、彼女の才能を一気に世に知らしめた作品でもあります。
ここでは、泰葉という人物の背景や音楽センス、そして波乱万丈な人生を通して、この曲がなぜ“伝説”と呼ばれるようになったのかを紐解いていきます。
泰葉のプロフィールとデビューのきっかけ
『フライディ・チャイナタウン』を生み出した泰葉(やすは)は、華やかな芸能一家の中から自らの音楽の道を切り開いたアーティストです。
その人生の出発点とデビューの背景を、まずはプロフィール表で整理してみましょう。

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 海老名 泰葉(えびな やすは) |
| 生年月日 | 1961年1月17日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 出身家庭 | 父:初代・林家三平/母:海老名香葉子/兄:林家正蔵・林家三平 |
| 職業 | シンガーソングライター・作曲家・タレント |
| デビュー年 | 1981年 |
| 代表曲 | 『フライディ・チャイナタウン』 |
| 所属レーベル(当時) | トーラスレコード |
名門・海老名家に生まれ、幼少期から芸能の世界を身近に感じていた泰葉さん。しかし、彼女が目指したのは“家業を継ぐ道”ではなく、“自分だけの表現を探す音の世界”でした。
ピアノを独学で学び、高校時代にはすでに作曲を始めていたといいます。大学在学中には音楽業界のプロデューサーの目に留まり、わずか20歳でデビューが決定。そのデビュー曲こそが、自身の作曲による『フライディ・チャイナタウン』です。
制作陣には、作詞に荒木とよひさ氏(テレサ・テン『時の流れに身をまかせ』など)、編曲に井上鑑氏(福山雅治・井上陽水など)といった日本ポップス界の名匠たちが集結。まさに“黄金の布陣”によって誕生したこの曲は、1981年の音楽シーンにおいて異彩を放つ作品となりました。
当時のオリコン順位こそ高くはなかったものの、クラブDJやラジオで徐々に再生され、「耳に残る」「都会的でおしゃれ」と高く評価されるようになります。そして40年後、SNSを通じて再び注目を浴び、まるで時代が彼女の才能に追いついたかのように再評価されたのです。
泰葉の音楽は“二世タレント”の枠を超え、「本物のアーティスト」としての存在感をいまも放ち続けています。
父は林家三平!芸能一家に生まれたシンガーソングライター
泰葉の父・初代林家三平は「どうもすいません」でおなじみの国民的落語家でした。しかし泰葉自身は、伝統芸能の継承者としてではなく、あくまで“自分の声で表現する人”を志しました。家族の中で唯一、音楽の道を選んだことに対し、当初は「なぜ落語を継がないのか」と周囲から言われることも多かったそうです。
その一方で、泰葉の音楽には落語的な“間”や“語り”のリズム感が自然に流れています。『フライディ・チャイナタウン』の歌詞には、まるで一遍の短編映画のように情景が展開され、聴き手を物語の中に引き込む構成が見られます。これは、幼い頃から父・三平の舞台を間近で見て育ったことが大きな影響を与えているでしょう。
また、兄たち(林家正蔵・三平)も芸人として活躍する中、泰葉は“音楽という別の舞台”で自身の存在を確立しました。彼女が家族の名に頼らず、自分の世界観で勝負したことこそが、今日「女性シンガーソングライターの先駆け」として再評価される理由の一つです。
まさに“芸のDNA”を受け継ぎながらも、まったく異なる方向に咲いた才能といえるでしょう。
作詞・作曲の裏側に隠された泰葉の音楽センス
『フライディ・チャイナタウン』の作曲を手がけたのは泰葉自身。この点が、彼女を他の歌手と大きく分けるポイントです。
当時20歳の女性が自作曲でデビューすることは非常に珍しく、しかもその曲が“都会的で洗練された”シティポップの代表格になるなど、前例のない快挙でした。曲の構成を見ても、イントロからAメロに入るまでのテンションコントロールや、サビへの転調の美しさなど、音楽理論的にも極めて完成度が高い。
さらに、泰葉のピアノアレンジにはクラシックの要素とジャズのコード感が融合しており、まるで坂本龍一や大貫妙子に通じる“知的ポップ”の香りがあります。この音楽性は、単なる流行ではなく、泰葉が持つ生まれながらの感性と、繊細な表現力によるものです。
また、歌詞を担当した荒木とよひさとのコンビネーションも秀逸でした。泰葉の音に、荒木の情緒的で文学的な詞が重なることで、まるでヨコハマの夜景を歩くような“光と影のロマンチシズム”が完成。まさに、80年代の都会を象徴するサウンドとして、“時代を超えて響く1曲”が生まれたのです。
話題になった結婚・離婚エピソードとその影響
泰葉は1988年、落語家・春風亭小朝と結婚。当時は「芸能界のビッグカップル」として注目を集めました。しかし2007年に離婚を発表。その後はメディアでの発言やSNSでの活動がたびたび話題になり、スキャンダル的に取り上げられることも少なくありませんでした。
ただし、この期間に見られる彼女の“表現の強さ”は、音楽活動の延長線上にあるともいえます。『フライディ・チャイナタウン』の歌詞に登場する“自己主張する女性像”や“自由に生きたいという欲望”は、泰葉自身の生き方とも重なっています。社会的な批判を受けても、自分の感情を正直に表現する姿勢は、まさにアーティストそのもの。
このように、メディア上では“奇抜”と評されることもありましたが、根底には常に“表現者としての信念”がありました。そして今となっては、その率直さこそが、彼女が時代を先取りしていた証でもあります。80年代当時、「女性が自由に恋を語る」ことがまだ少なかった時代に、彼女は音楽でも人生でも“自立した女性像”を体現していたのです。
現在の活動と「フライディチャイナタウン」への思い
現在、泰葉は音楽活動を続けながら、YouTubeチャンネルなどを通じてファンと交流を行っています。自身の公式チャンネルでは、ピアノの弾き語りで『フライディ・チャイナタウン』を披露する動画を公開。デビュー当時と変わらぬ透き通る声と、年齢を重ねたからこそ生まれる深みが、多くのファンの心を打っています。
また、彼女はインタビューで「この曲は私にとって“原点”であり、“人生そのもの”」と語っています。デビュー曲にして代表作であるこの楽曲は、時を経ても彼女のアイデンティティの象徴。Night Tempoをはじめとする海外アーティストがこの曲を取り上げたことに対しても、「音楽は国境を越える。私の心が世界とつながっているようでうれしい」とコメントしています。
さらに、近年では“昭和レトロブーム”や“シティポップの再評価”の波に乗り、若い世代からも再び注目を集めています。今なお『フライディ・チャイナタウン』がテレビ番組やCMで使用されることも多く、彼女の音楽が再び時代と共鳴しているのです。
泰葉というアーティストは、過去の栄光に縋ることなく、常に「今、自分が感じる音」を追求し続けています。まさに“自由に生きる女性像”として、この楽曲とともに時代を超えた存在となっているのです。
総括:フライディチャイナタウンはなぜ流行った?まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 1981年に泰葉が発表したデビュー曲『フライディ・チャイナタウン』が、2020年代に再ブーム。
- 再流行の背景には、シティポップ再評価ブームとSNS(TikTok・YouTube)による拡散がある。
- 曲の舞台は横浜中華街。異国情緒と都会的な女性像を描いた歌詞が、現代にも共感を呼んでいる。
- タイトル「Fly-Day」は“飛び立つ日・解放の日”という意味の造語で、自由を象徴している。
- 韓国DJ・Night Tempoによるリミックスでクラブシーンでも人気が再燃。海外ファンにも支持された。
- 泰葉は落語家・林家三平の娘で、芸能一家に生まれるも音楽の道を選択。
- 作曲を自ら手がけ、荒木とよひさ・井上鑑との制作で高い完成度を実現。
- 彼女の音楽には、落語由来の“間”とストーリーテリング性が息づいている。
- 結婚・離婚を経て波乱の人生を送るが、常に“表現者としての信念”を貫いた。
- 現在もYouTubeなどで活動を継続し、『フライディ・チャイナタウン』を原点として再び注目を集めている。
- この曲は、“自立と自由を求める女性像”を描いた普遍的な作品として、今も愛され続けている。
